相撲 協会が守っている「伝統」は不変のものなのか?(歴史の学びをビジネスに活かす)

2018.04.20 (金)
相撲 の伝統って本当は何なんだろうか?

相撲 協会の「伝統」が変遷してきた歴史

相撲 協会 が主張する伝統について、面白い記事を見つけました。

Newsポストセブンの『「伝統を守る」の相撲協会、都合よく伝統を変えてきた歴史』という記事です。

 

この記事では、伝統を守ってきたはずの相撲協会が伝統を変えてきた変遷が紹介されています。

 

以下、Newsポストセブンからの抜粋です。

 

20世紀に変更された相撲の伝統

[抜粋]

※抜粋中の【】は筆者の注

 

 

  • 1928年にNHKラジオ中継が始まるのに合わせて、取組前の仕切りの時間制限が導入された。
  • 1952年秋場所からは土俵四隅の柱が撤去され、屋根が吊り下げ方式に改められた【注:テレビ中継の邪魔になるため】
  • 1976年、春日野理事長(元横綱・栃錦)の時代に、理事会で“年寄株の取得は日本国籍を有する者に限る”という内規ができた。
  • 外国人力士は1部屋に一人という内規も、モンゴル勢が土俵を席巻していくなかで作られた(2002年)

 

[抜粋ここまで]

 

土俵入りの型も割と最近できた

ちなみに、横綱 土俵入り で披露される 「雲龍型」 「不知火型」 という土俵入りの型も、江戸末期から明治にかけて実在した横綱・雲龍久吉不知火光右衛門が行なっていた形を起源にされているそうです。

 

明治元年は1868年-69年(明治5年に暦が 陰暦 から 太陽暦 に変わった 関係 で現在の日付に直すと少しおかしなことになります)にかけてですから、伝統と言っても以外に新しいですよね。

 

何が言いたいかというと、伝統というのは「創られる」ものだし、時代の流れや利害によって割と柔軟に変わってくるということです。

 

そもそも相撲は蹴り技主体の格闘技だった

相撲は「そもそも 神事 だから」云々という話もありますよね。

きっとそれは確かにその通りなのだと思います。

しかし、そこに端を発しながら、武士の鍛錬の手段としての相撲になったり( 織田信長 は相撲好きで有名)、江戸時代には見世物・興行としての側面をもったりと時代に合わせて姿を変えてきたはずです。

江戸期には藩がパトロンの様になって相撲取り応援したりしていました。

 

しかし、そもそも論を掘り下げるなら、相撲は 蹴り技 主体の格闘技です。

相撲の祖とされる 野見宿禰 は、 対戦相手 の 当麻蹴速 の 肋骨 を蹴り折り、腰骨を踏み折って絶命させています。

かなり凄惨な勝ち方です。

 

「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」

 

これが 人間同士 の相撲についての最も古い記録ですから、そもそもに戻るのならここまで遡る必要があります。

しかし、やはりこの相撲のスタイルは今の時代には合わないような感じがしますよね。

 

伝統が創られるのは相撲に限ったことではない

実際、「伝統」が創られたり、変化したりするのは洋の東西を問わず世界中で起こっていることです。

 

創られた伝統

ヨーロッパの事例は、『創られた伝統』という本にまとめられています。

例えば、タータンチェックのスカートと言えばスコットランドの伝統的な民族衣装とされています。

しかし、実は17世紀に始まったものだ。というようなことが指摘されています。

織物業者が、売上を伸ばすために模様を各家ごとに分けて普及させたなんて話もあるぐらいです。

 

 

最近は、関東でも当たり前のように売られている恵方巻きなども、伝統的なものではありません。

あれは、ざっくりいうと、戦後、大阪の寿司屋の組合が始めた一種のキャンペーンです。

それをセブンイレブンが取り入れて全国区になりました。

ちなみに「恵方巻き」という名称もセブンイレブンが付けたものです。

しかし、そういう経緯をしらないとなんとなく昔からやっていることのように感じますよね。

 

日本の街は昔からきれいか?

「日本の待ちはキレイ。」というのも、実は伝統的なことではありません。

現在の清潔さは1964年の東京オリンピックがきっかけです。

それまでは、道路に捨てていたゴミをゴミ箱に捨てるようになったのもこの頃からだそうです。

池上彰さんの証言

 

公平を期して言うと、江戸の街の清潔さについては外国からの訪問者が証言を残しています。

きれいな街という伝統は一度どこかで断絶して、オリンピックを契機に復活したというのが性格なのかも知れません。

 

何が言いたいか?というと、「伝統って実は絶えず変わってきているものですよね」ということです。

だとすれば、「伝統だから」という理由で納得いかないものを受け入れる必要もないのかも知れません。

それに、伝統は自分たちで作ることが出来るものなのだということです。

 

まとめ

実を言うと、私は伝統的なものが大好きです。

「大昔から、続いている」ことや「大昔の」ものにふれるのはとてもワクワクします。

大学では歴史の研究をしていました。

 

そんなわけで「伝統」や「伝統的なもの」全てに対して否定的に見ているわけではありません。

 

しかし、一方で「伝統」を盲信して、より良い状態を目指さなくなるのはどうかな?とも思うわけです。

 

もし、伝統が本当に重要で変えることが許されないものだとしたら、私たちはまだちょんまげをして、草鞋を履いて、田畑を耕しているはずです。

 

ちなみに、旧石器時代の方が、他のどの時代よりも長いです。

だとすると、本当に伝統的なのは石を削って矢じりや斧を作り、動物を追って移動しながら暮らすことなのかも知れません。

 

しかし、ちょんまげ&草鞋にしても、石器&狩猟にしても、時代に合わないからやめちゃったわですよね。

 

だとしたら、 時代 に合わせて変えるべきところは変えるという 柔軟性 は持ったほうがいいのかも知れないなと思った次第です。

あなたはどう思いますか?

 

今野富康


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